分かりづらい選抜高校野球の5つの選考基準とは?

こんにちは。超野球大好きマニアの大泉です。今日は過去の事例などをもとに、選抜高校野球の選考基準について説明をしていきたいと思います。

いつも野球マニアの間では物議を醸しだす選抜高校野球。特に21世紀枠が開始されてからは、ファンの間ではより疑問視されることが多くなりましたが、昔にはもっと理不尽ともいえる選考例がありました。それもおって解説します。

夏の選手権なら地区予選を最後まで勝ち抜いた高校が出場できるというシンプルなものなのですが、春の選抜高校野球はそういう訳でもなく、選考基準と言うものがあります。

それでは選考基準について順を追って解説していきます。

選抜高校野球の選考の歴史

そもそも選抜高校野球大会とは何なのか?選考基準を理解するには、まずは、どのような選考がされてきたのか?歴史からみていく必要があります。

選抜高校野球が始まったのは1924年(大正13年)でした。第1回では、過去1年間の試合において最強と認められた高校が出場しました。このときは8校で、高松商業(香川)が優勝をしました。

もともと予選会のようなものあったわけではなく、過去の成績から強いと思われる高校を選抜することが始まりだったことが分かります。

トーナメント戦だと一発勝負ですから、不運で負けることもあります。これも実力の内だとは思うのですが、この辺りの本当に強い高校の試合をみたいという気持ちは何となく分かります。

この当時は地区問わず選出されていたようです。

1925年に選考委員会が設置され、何と個人賞と言うものも制定されていました。

1933年までは前年度優勝校は無条件に選出されていました。

1941年から5年間戦争による中断の期間を経て、1947年に再開となりました。

ちなみに選抜高校野球という名前になったのは、1947年からでした。

1950年から全国からの一括選抜ではなく、ブロックからの選出となりました。

1957年には、高校野球はチームプレイからという理由で個人賞がなくなりました。ちなみにこの年に優勝した高校は、王選手率いる早稲田実業高校でした。

何だかこの辺りから強いとか上手と言う理由だけではなく、野球の技術以外の要素も考慮されるようになってきたのかもしれません。

1950年~1960年代は波乱の選考がありました。そういったこともあってか、1971年に曖昧だった選考基準が明文化されるようになりました。

出場校が32校になったのは1982年からでした。

2001年からは21世紀枠が設けられるようになりました。

もう忘れている方も多いかもしれませんが、2003年~2008年には希望枠というものがありました。これは結構面倒な計算のもとに選考されるやり方でしたね。

簡単に言うと、神宮枠以外の地区から1校、守備力に優れた高校を選考するというものです。詳しく知りたい方はこちらのwikipediaからどうぞ。

あとは沖縄枠や東北絆枠などがありました。

こう見ると選抜高校野球も歴史を追うごとに、目的や選考基準なども変わってきたように思えます。

選抜高校野球の5つの選考基準とは?

日本高等学校野球連盟の選抜高校野球大会の大会要項には以下のように記載がある。

(1) 大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。
(2) 日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。
(3) 校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。
(4) 技能についてはその年度全国高等学校野球選手権大会終了後より11月30日までの試合成績ならぴに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。
(5) 本大会はあくまで予選をもたないことを特色する。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。

引用元 第88回選抜高等学校野球大会要項

この(1)~(2)はほとんどの高校が当てはまり、また(5)は注意書きみたいなものなので、選考基準となるのは(3)~(4)になりますね。

(4)の試合結果で優秀な所を、(5)地域的な面も加味して選ぶといったところです。地域性と言うのは高校の数が違うので、多い所からは多く、少ない所からは少なくといった意味合いです。いわゆる普通枠は28校になります。その内訳は以下の通りです。

北海道 1校

東北 2校

関東 4校 東京1校 あとどちらかでもう1校

東海 2校

北信越 2校

近畿 6校

中国 2校 四国2校 あとどちらかでもう1校

九州 4校

となっています。そして更に神宮枠と21世紀枠があります。

明治神宮大会は各地区で優勝した高校が戦う、いわば秋の全国大会です。ここで優勝した高校の地区はもう1校増えます。

また21世紀枠では(5)の側面が強い選出となっていますね。21世紀枠は各都道府県から1校推薦があって、更にそこから地区ごとに9校に絞られて、その中から3校が選ばれる事になっています。この選考、というよりも枠自体が最近は疑問視されることも多いです。

これまで出場したこうこうは45校でそのうち、初戦を突破したのは15校のみで、夏の甲子園も出場出来た高校は2校のみとなっています。あまり勝てていないのです。実力の選抜と言われた時代からすると、趣旨が変ってきているような感じがしますよね。

疑惑の選考3選!

1 長野北高校の事例

1949年、1950年と2年連続で強豪の松商学園高校を破っての北信越大会優勝であったが、選抜の出場権は得られないという悲劇。北海道地区、東北地区の優勝校も補欠にも入らないと言う事態。東海地区では初戦敗退の高校が選ばれたと不思議な選考でした。

2 米子東高校と米子南高校の事例

それぞれ、1949年と1954年に秋季中国大会で優勝するも、選出もされず。ここでも初戦敗退の高校が選ばれたりと不可解な選考が行われていました。しかし直接対決で負けている方が選考され、その理由が暖かい地域の方が練習できるだろうという今では考えられない理由も含まれていたそうです。

3 下関商業高校の事例

こちらは1963年、中国大会2回戦敗退の下関商業高校が、エースが怪我をしなければ勝てたという理由で選考されたという事例です。この当時のエースは黒い霧事件の池永投手でしたが、何やらつきゆびをしたか何かで本調子ではなかたっと言う話だったそうです。今だったら間違いなく炎上しますね。

と、3つ挙げてみました。こちらの事例は全てこちらのサイト、“ベストチョイスか偶然か”の記事を一部参考に書きました。もっと詳しく知りたい方は上記サイトで記事を読んでみてください。当時の新聞の切り抜きなども掲載してあり、とても面白いです。

しかし凄まじい事例ばかりでしたね。今の時代にこんなことがあったら大変な事です。

まとめ

いかがでしたか?選抜高校野球の選考基準についてまとめてみましたが、そもそもの歴史から、びっくりするような事例まで様々なことが分かりました。

それでもやっぱり選抜高校野球は夏とは違う楽しみがあるのみ事実で、このえ!?と思うような選考も見ている側としてはドキドキ、ハラハラして面白い部分もありますよね。